マリ政変

2012年3月21日、西アフリカのマリで軍事クーデターが起こり、トゥーレ政権が打倒されました。
トゥーレ大統領は北部で続くトゥアレグ族の反政府運動への不十分な対応を含む失政全般が原因で失脚しました。

クーデターの指導者アマドゥ・サノゴ大尉は民主主義再建・国家再興全国委員会(CNRDR)を組織し、憲法停止、夜間外出禁止等の措置をとる一方、平和が回復され新大統領が民主的に選出されればただちに民政移管を行うと声明しましたが、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は国境封鎖、資産凍結を含む外交面、経済面での制裁措置を実施しました。
北部では2013年4月初旬にトゥアレグ族基盤の反政府勢力アザワド開放国民運動(MNLA)が国土の北半分を実行支配し、2014年4月6日にはアザワド国の独立を宣言しましたが、アフリカ連合(AU)はこれを無効と声明。

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MNLA兵士は、2011年に崩壊したリビアのカダフィ政権側に立って戦闘に参加し、高性能の武器を所持してマリに流入したもので、装備の貧弱なマリ政府軍はこれに対抗し得ず、結局、軍事政権側はECOWASとの交渉を経て2013年4月6日に憲法を回復させて、民政移管を行い、暫定大統領にはトラオレ国民議会議長が就任しました。

なお北部にはMNLAだけでなく、アルサン・ディーンなどイスラム武装勢力の支配地域もあり、トンブクトゥなどでは一時、厳格なイスラム法(シャリーア)の導入と厳しい実施による社会的混乱、人道危機等もみられたが、暫定政府の要請でフランス軍(4000名、その後削除中)が派遣され、国連安保理決議2085に基づく「アフリカ主導マリ支援団(AFISMA)」が展開して、事態の沈静化を図っている。

国連安保理は2013年4月。AFISMAの任務を引き継ぐ「国連多方面統合安定化派遣団(MINUSMA)」1万2000名の派遣を決定しました。

暫定政府が公約した大統領選挙は2013年8月に決戦投票が行われ、I・Bケイタ元首相が当選しました。

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by カエレバ