大島渚監督とは

戦後、国内で最も影響力のあった映画監督の一人が大島渚監督でしょう。
2013年1月15日、肺炎のためにお亡くなりになりました。享年80歳でした。
1959年、松竹映画『愛と希望の街』で鮮烈デビューを飾ったあと、
青春残酷物語』、『日本の夜と霧』を連打して、新世代の映画の騎手となりました。

同時代の吉田善重、篠田正浩監督らの作品を含め、「松竹ヌーベルト」と呼ばれました。
犯罪や事件などから映画の題材を選ぶ作風は難解ともいわれましたが、
その鮮烈な社会性と芸術性は、国内のみならず、海外でも高い評価を得ました。

▼愛と希望の街▼
愛と希望の街あらすじ
ある小都市の駅前、靴磨きの女の人たちに混じって一人の少年・正夫(藤川弘志)が鳩を­売っていた。そこへ会社役員の令嬢・京子(富永ユキ)が通りかかり、その鳩を七百円で­買った。正夫はお金が要るから鳩を売ると言う。京子は同情するが、実は鳩が巣に戻る習­性を利用した巧みな金儲けだった。
(c)1959 松竹株式会社

 

愛のコリーダ』の出版物がわいしつに当たるとして裁判に立たされましたが、
「わいせつ、なぜ悪い」
と、果敢に戦う姿勢を示すなど、公の場でも戦闘的な姿勢を貫き通しました。

▼『愛のコリーダ』予告編▼

 

また、こんなエピソードもあります。

大島渚58歳の時、結婚30周年パーティーを開いた際のこと、
壇上で祝辞を述べる予定だった作家の野坂昭如(当時・57歳)の名前を読み上げるのを忘れ、酩酊していた野坂に殴られ、大島渚も持っていたマイクで応戦、殴り合いになりました。(のちに互いに反省文を書き送り合ったそです)
仲裁に入ってるのは小山明子さん。

▼大島渚 vs 野坂昭如 殴り合い【放送事故】▼

 

テレビでは、「朝まで生テレビ!」などで活躍。
歯に衣着せぬ発言は、痛快でさえありました。

愛の亡霊』でカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞。
ただ、別の年にカンヌで本命視されていた『戦場のメリークリスマス』は賞を逃し、
御法度』を最後に監督作は登場しなかった。

▼『愛の亡霊』 予告編▼

 

晩年は、長く病気療養を続け、まさに憤懣(ふんまん)やるかたなかったのではにでしょうか。

大島渚監督の「バカヤロー」は、おそらく自分に言いたかったのではなかったのだろうか。

映画監督 大島渚
by カエレバ