政治の言葉


ジョージ・オーウェルが書いたディストピア小説『1984年』において国家は、国民の思考を単純化して統治しやすくするためにさまざまな手法を使います。
簡略化された言葉と制限された語彙によって成り立つニュー・スピーク(新話法)はその一つです。
国民はこの話法を強制され、やがて国家に意義を唱えたり疑問をもったりすることができなくなります。

日本でも第2次世界対戦末期には、「敗走」や「撤退」を大本営とメディアは「転進」と呼び、
「避難」は「疎開」になり、「全滅」は「玉砕」と言い換えました。
国民の戦意を絶やさないためでした。

人類がこれほどに繁栄した理由の一つは、適応能力の高さがあります。
しかし、きわめて高い適応能力は、周囲の環境や状況に、自分の思想や感覚を無意識に合わせる馴致性(じゅんちせい)につながります。
つまり、自分に対しての無自覚なマインドコントロールを行ってしまうのです。

だからこそ言葉は怖いのです。

すりかえられた意味が、いつのまにか前提になってしまっている。
でも、誰もそのことに気づかない。
あるいは、気づいても口にしない。

こうして社会が少しづつ変わっていく。

特に集団化と相性がいい日本人は、こうした傾向が強く、周囲に合わせる傾向が強くあります。

そして、為政者は危機を煽ります。
なぜなら支持率が上がるからです。

メディアも危機を煽ります。
なぜなら視聴率や部数が上がるからです。

どちらも悪意をもって煽っているわけではないとしても、
結果として人々の意識が変わってきます。

意識はシステムを変え、社会を変え、国家の方向を見誤らせることもあります。
でも、そのときは誰も気づかない。
人はダマされる。
自分をあわせる。
感覚を止める。

気づいたときにはもう遅く、取り返しのつかいない事態に。

そうならないよう、言葉に惑わされず、
ものごとの本質をいつも見ることが大事だ。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
by カエレバ